プロフィール(木村 敦)

行政書士木村事務所木村敦

1973年(昭和48年)7月1日生まれ、血液型はB(7月1日のB型は明石家さんまと同じですw)。

大阪市生まれ大阪市育ち(中学校三年間は奈良県香芝市)です。

趣味は、サッカー観戦(特に日本代表戦とヨーロッパチャンピオンズリーグが好きです。)、お酒(ビールとワイン)を飲みながら仲間とワイワイやること。一人息子と将来の夢や日常の色々な話をすること。読書(ビジネス書、歴史小説)


尊敬する人は、松下幸之助、河井継之助、坂本龍馬。


好きな言葉は、“日々是新也”、“一日一生”


好きな音楽は、尾崎豊。学生時代にハマりました。

大人になって暫く聴いていなかったのですが、この歳になってまた聴きだして感動しています(メジャーな10代の作品よりも、お亡くなりになる前の20代の作品の方が好きです!)

少年時代は絵に描いたようなヤンチャな悪ガキでした。

クラスメートの女の子達にちょっかいを出しては追い掛け回されたり、同級生と毎日のようにプロレスごっこをしては勢いが余り、本気の喧嘩になってしまう感じで、いつも先生に叱られていた記憶があります(笑)

中学校にあがると同時に大阪市から奈良県香芝市に引越しました。

この機会に気持ちを一新し、悪ガキから優等生になろうと決意。

大阪の有名な進学塾に片道50分かけて通いだしたのもこの頃です。

中学2年の時はS台予備校の全国模試で成績優秀者に載ったこともあります!
しかし、生来のヤンチャな気質は抜けなかったようで、徐々に悪の道に・・・(汗)
友達と塾をサボってゲームセンターに行ったり、好きな女の子と付き合ったり・・・、と色々ありますが、真面目?であろう我が息子の教育上、この辺でこの頃の記述は止めておきますw

その甲斐あってか成績は中2の秋頃から坂を転げ落ちるように落ちましたが、過去に勉強をかなり頑張った貯金から、高校は私立大阪明星学園に進学します(東京の私立暁星の兄弟校です)。大阪ではなかなかの進学校として当時は通っていました。

しかし、ここでもヤンチャな気質が災いし(どんなヤンチャをしてきたかは、前述の通り控えさせてもらいます・・・(^^; 、

成績はさらに坂を転げるように落ち、卒業する頃には学年で最下位の成績を争う常連に名を連ねていました。

そんな成績の悪さだったのですが、大学進学率100%の進学校にいましたし、私も周りと同じように当たり前のように大学進学を目指しました。

現役生の頃は、自分の成績を顧みず、トップクラスの私立大学いくつかだけ受験し、当然のように全滅。


そして、浪人生になって某有名予備校の早慶大進学コースに入ります。

浪人生時代はこれまでになく勉強を頑張りました。成績も徐々に巻き返してきましたし、このまま行けば早慶大も夢ではないぞ、駄目でも関西のトップの私学には入れるぞと息巻いていました。

しかし、その頃、そんな状況を一変させる事件が木村家に起こりました。バブル崩壊の煽りを受けて、父親の商売が失敗したのです。母親との夫婦仲も悪化し、怒鳴り声と夫婦喧嘩の絶えない毎日・・・。

父親は家に寄り付かなくなり、その後、両親は離婚。

母親側についた僕たち兄弟は、精神的にも経済的にもよろしくはない状況に置かれました。

とても、大学に進学できる環境ではありませんでした。大学に進学して良いのだろうか?自問自答を繰り返す毎日。

そんな環境に当分の間、勉強も手につかず、時間だけが過ぎていく・・・。

(いま思い返せば、奨学金等もらいながら、アルバイトして進学する道もあったのかもしれません。)

結局、早慶大中心に受験はしましたが、当然不合格。滑り止めなどは受験せず。

大学進学は諦め、家族の為に働いて、早くお金を稼ごうと決意。私の下に、妹と弟もいましたし。

私の知る限り出身高校で大学に進学しなかったのは、僕くらいだと思います(苦笑)

その後、暫くして就職するのですが、初めに入った会社はディスカウントストア、飲食店、パチンコ店などを複数店舗展開する会社でした。

8~9年在籍しましたが、若いオーナー社長が牽引する勢いのある集団で、どんどん若手に仕事を任せてくれ、相当なスピードで様々な経験を積ませてもらいました。

この会社の稼ぎ頭がパチンコ事業でしたので、徐々にパチンコ部門専属社員になっていきました。

最終的にはパチンコ店の店長→店長を管理するエリアマネージャーとして、スタッフ管理、営業管理(競合店調査、台入れ替え、釘調整、収支計画etc)等、ヒト・モノ・カネに関する全てのことを経験させていただきました。

上記の会社で、20代にしては結構なお給料をもらっていましたので、将来は起業する夢がありましたし、そこそこの額を貯金していました。

(学生時代から、起業家としての生き方に憧れ、松下幸之助さんの著書などを読んでは希望に胸を膨らませておりましたv)その貯金を元手に脱サラして、有限会社を設立し、ラーメン店の開業をしました。


私が29歳、息子が生まれて一年が過ぎようとした頃です。

何故ラーメン店だったかと申しますと、ラーメンブームだった当時(2001年頃)に、行列の出来るラーメン店店主と人を介して出会い、その味の提供を受け、ラーメン店をチェーン店化、フランチャイズ化できれば面白いと夢見たのです。

また、その前の10年弱の会社員生活で、必死に溜めた自己資金に見合った規模のビジネスであったことも理由の一つです。

オープン当初は、損益分岐点を大幅に上回り、一年ぐらい実績をつくり、銀行から融資を受けて、第二号店をつくろうと希望に燃え、朝6時半から夜中の12時過ぎまで年中無休で必死に働きました。フラフラになりながらも充実した毎日でした。

しかし、多くは語りませんが、自身の脇の甘さ・ある種の裏切り等々により、同じ品質の商品を提供できなくなってしまい、お客様離れが起こり、閉店を余儀なくされたのです。

あの時の私に、少しは知恵のついた現在の私が助言できるなら、あんな失敗は無かったのにと悔やまれます。

そして、いつか復活することを固く胸に誓い、紆余曲折を経て、その夢が形を変えて、現在は行政書士事務所を経営するに至りました。

何故、行政書士かといいますと・・・、

ラーメン店の経営に失敗した私は、会社員時代にコツコツと溜めた全財産を全て失い、途方に暮れました。

不幸中の幸いで、借金はありませんでしたが・・・。

会社員に戻る選択肢もあったのでしょうが、学生時代からずっと起業家として成功することを夢見てきたので、その選択肢はもう私の中にはありませんでした。

かといって、ラーメン店閉店後の、一文無しの男が持てる選択肢はあまり多くはありませんでした。

初期投資もかからないし、経営コンサルタントで起業するのが面白いなと思いましたが、どうも自分の稼いでいく能力に自信が持てませんでした。

そこで、10年弱の会社員時代に、会社の営業数値を分析し戦略戦術をたてる流れの仕事を行っており、最も楽しく取り組めた仕事だったこともありますし、学生時代には算数、数学が一番得意でした。

そういう話を友人としていたら、公認会計士の資格をとれば?とアドバイスをもらいました。

興味を持ったので、友人に紹介してもらい何人かの公認会計士に直接お話を聞かせてもらったり、本やネットで調べたりして、どれだけ合格するのが難しい資格かということや、取得した後、無限の可能性がある資格だな、と感じました。

実際、公認会計士の資格を武器に経営コンサルタントとして活躍されている方も多くいらっしゃいます。

公認会計士になれれば、自分の目指すジャンルの経営コンサルタントになれるだろうし、当時のホリエモンみたいな起業家の参謀として生きていくのも面白いかも、とか夢は膨らんでいったのでした。

しかし、現実は大変厳しいものでした。

家族を養う身として、営業職等の仕事をしながら、公認会計士の受験予備校に通うという大変ハードな生活が始まったのです。

公認会計士受験生活が私の中ではメインでしたし、お仕事は本来やりたい内容のものではなく、受験生活に合わせた最低限の生活費を稼ぐ為に仕方の無い仕事を選んできました。

正直、扱いの良くないお仕事もありましたし、受験勉強のストレスと合格へのプレッシャーが相俟って本当に、人間やめますか?公認会計士受験生やめますか?という精神状態まで追い込まれていたのを覚えています。

当初の予定では三回の受験で決めると思っていましたが、三回目で惜しいところまでいき、もう一度だけ、と四回目の挑戦に踏み切りました

その四回目もかなり惜しいところまでいったのですが・・・・・、結果は僅かに足りず(涙)

そこで、無念さに後ろ髪を引かれながらも、数年間に渡った公認会計士受験生生活にピリオドを打ったのです。

その後は、公認会計士受験生時代に合格までのプロセスとして、日商簿記一級と全国経理教育協会簿記上級試験に合格しており、その資格のお陰で公的な職業訓練校の簿記会計講座の講師のお仕事のオファーが知人からきました。

その会計講師の報酬で何とか生活はできるし、普通の会社員よりは少し多く自分の時間が持てるし、この間にやはり折角勉強をしてきた証として、今後の人生の核となる資格が欲しいと思いました。


そんな折、私の従兄弟の行政書士から、行政書士の仕事内容や試験のことなどを聞く機会がありました。

また、アルバイト的にお仕事の手伝いもしたりしました。

行政書士は許認可申請等の独占業務もしっかりありますし、行政書士法を読んでみると、かなり自分のやりたいことのできる自由度の高い資格であるな、と分かりました。

そんな経緯もあり、行政書士を目指すことになりました。

あとは、試験に合格できるかどうかです。

当時の私は行政書士試験を少し舐めていたこともあり、合格まで少々時間がかかることになりました。

法律系国家資格の登竜門とあるし、司法試験や司法書士試験より断然簡単でしょ?

まあ、働きながらでも、効率よくやれば、そんなに苦も無く合格できると思っていました。

しかし、現実は甘くなく、またまた苦しい資格試験受験地獄が始まることになりました(涙)


結論から言いますと、やっとのことで、三度目の受験で行政書士試験に合格できました。

一回目の受験は、行政書士試験くらい大丈夫だろ?という甘い気持ちのせいで、合格基準点から大幅に下回り不合格。(もちろん、学生時代から試験勉強が得意ではない私の頭の悪さが一番の原因です・・・汗)

その時、行政書士試験は思っている程、簡単ではないぞ!

合格者の中には、相当数司法試験等の受験生が含まれていますし、私のような法律初学者が合格するには、なかなか高いハードルの資格だと認識し直しました。

そこからは、公認会計士受験のときと変わらないか、それ以上の真剣度で行政書士試験対策に取り組みました。

しかし、二度目の受験では、惜しいところまでいったのですが、一般知識で足切りを食らい不合格・・・・・。

法律系科目では、合格基準点を超えていたのに・・・・・

暫く飲んだくれの日々を送りましたが何とか気を取り直して、今までの全ての挫折のリベンジ、総決算の年にすると決意を新たにし、相当気合を入れて頑張りました。

結果は、合格基準点を大幅に超えて合格することが出来ました。

一般知識も一問だけ落としただけでした!

そんなこんなの人生の紆余曲折があり、行政書士試験に合格し開業し、そして現在の活動があるわけであります。


私は行政書士として、起業家の皆様の開業準備から始まり、様々な成長ステージにおいて強力に支えていける存在でありたいと思っております。

私自身も一起業家として、弊所をお客様に最高のサービスを提供しご満足いただけるトップクラスの質の高い集団にしていき、更にはこの事務所を核とした社会的に意義のあるビジネスを積極的に展開していきたいと夢を描いております。

皆様と同じく、大志を抱き夢に向かってワクワクと仕事をしている毎日でございます。

起業は、まずは商品開発に集客と成約、売上の確保が命綱になります。

是非とも、あなたの全精力を商品開発や営業等あなたにしかできないプロジェクトに向けていただき、会社設立や資金調達、各種許認可申請等、ややこしい煩わしい手続きは私ども専門家にお任せいただき時間価値の最大化を図ってください!

また、私の過去の起業の失敗等、挫折続きの人生に対処し克服してきた力強い経験を、今後出会うであろうお客様に伝え、お客様の成功に貢献し、そして私も皆様と同じ起業家として、一緒に上昇気流に乗っていきたいと強く願っております。

一緒に頑張って、共に成長していきましょう!!

長いプロフィールを読んでいただきまして、ありがとうございます。

 

行政書士 木村 敦

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